- 2024/11/21
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「穴あきおたまでこんにちは~TV DATAのいけにえ」の 鯖世笠晴のブログらしいブログ
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1982年4月から安定した人気を誇っていた
木曜20時、高橋英樹の「遠山の金さん」だったが、
1985年9月で一旦終了。1985年10月からは火曜21時に移り
引き続き高橋英樹でタイトルが「遠山の金さんII」となる。
この奇妙な措置は1985年10月に鳴り物入りで開始した
平日22時(当時は金曜のみ23時)の
「ニュースステーション」が起因している。
当時は意外とテレビ朝日の平日22時台は人気番組が多かったので、
概ね移動して継続している。
月曜21時から2時間サスペンスの「月曜ワイド劇場」は1時間繰り上げ。
水曜22時の「特捜最前線」は木曜21時に。
木曜22時の「愛川欣也の探検レストラン」は土曜19時30分に。
木曜22時30分の「美女紀行・E湯・E味」は日曜18時30分に。
問題は火曜22時である。
1985年9月の時点では同年4月からはじまった「パーティー野郎ぜ!」だったが
不人気で9月で終了している。
だが、これは大阪・朝日放送の制作枠で、
前番組は長年続いた「プロポーズ大作戦」である。
そのまま枠返上ということには当然ならず、
朝日放送のバラエティ枠として移動することになるのだが、
これが何故か木曜20時に来ることとなり、
「金さん」は火曜21時になった。
素人考えでは火曜21時でいいじゃないかという感じなのだが、
当時の火曜21時といえば
フジテレビのクイズ番組「なるほどザ・ワールド」が世帯視聴率20%台、
日本テレビの「火曜サスペンス劇場」も10%台後半くらいで
おそらく朝日放送のバラエティでは勝ち目がないと思ったのだろう。
またテレビ朝日の火曜21時も
1982年4月に長年続いた時代劇枠が終了してから
音楽番組や、萩本欽一のバラエティ、石原プロのドラマ「ただいま絶好調!」と
迷走しており、やっぱり時代劇なら勝算があるという判断だったのでは。
しかし「ニュースステーション」は当たったが、この大移動がことごとく失敗。
木曜20時だった「遠山の金さん」は13%程度あったが
火曜21時の「遠山の金さんII」になり、そこまで悪くないが平均9%台に。
これが1年で終了し、同じく東映京都のスタッフ&高橋英樹で
京都の町医者のドラマ「京都かるがも病院」という現代劇になったが
平均5%台しか穫れなかった。
東映京都の現代劇という意味では木曜ミステリーと同じ要素ではあるのだが
この時は上手くいかなかった。
ファミリー劇場で10年ほど前に再放送されていたが、
ちょっと主題歌などが辛気臭い感じではあった。
更に問題なのは木曜20時ではじまった朝日放送の「極楽テレビ」。
島田紳助らのお笑いバラエティ番組だったが
初回で世帯視聴率2.9%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を
叩き出しわずか5回で終了。平均視聴率は4.0%。
その後、リニューアルした「爆笑!!ライブハウス」も
元々つなぎだったのか12月末で終了。
その後は「女ひとり旅」「テーマはおんな」「テーマはおんな・旅情編」と続いたが
視聴率は上向かなかった。
また先述の22時台にいた番組群も移動先で苦戦。
そこで1年半後の1987年4月の大改編につながる。
おそらくこの時のテーマはなるべく曜日を元に戻すということ。
水曜22時から木曜21時に来た「特捜最前線」は終了になったが
東映テレビプロ、日産提供の刑事ドラマ枠としては
2022年現在でも続く水曜21時に。
木曜21時は「特捜最前線」以前は刑事ドラマではないドラマ枠だったが
それも復活。
(直前とのつながりでは、「月曜ワイド劇場」が解体されて
1986年10月にはじまった1時間のオムニバス枠「月曜ドラマ9」の移動)
土曜19時30分は1985年9月までドラマ「あばれはっちゃく」枠だったが
1987年4月からは同じく国際放映の連ドラ枠に。
こういった具合に、件の
火曜22時から来た木曜20時の朝日放送のバラエティ枠は火曜21時に。
木曜20時から来た火曜21時の東映京都枠は木曜20時に交換して戻ることになった。
すみません、本当はこの「前史」で終わるはずだったのですが
火曜21時時代が長くなったので、一旦ここまで。次もあります。
次は「直前史」ということで
1987年4月~1998年12月の木曜20時枠について書きます。
すみません、大したことじゃないのに引っ張ってしまいました。
日曜20時枠時代、その1970年4月~の緒形拳版「丹下左膳」が
同年7月に(おそらく)打ち切りになり
(おそらく)予定より繰り上がって登板したのは
あの中村梅之助主演「遠山の金さん捕物帳」。
テレビ朝日(NET)と東映による「遠山の金さん」シリーズ第1弾である。
こちらは東京から京都の東映京都テレビプロに戻っている。
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放送は先述の通り日曜20時枠なので、裏番組はNHK大河ドラマ。
それなのに最高視聴率22.1%を叩き出したのは、ある戦略が功を奏したからだという。
それは簡単なことで、大河ドラマは今もそうだが放送終了20:45である。
大河ドラマが終わってから「遠山の金さん捕物帳」にチャンネルを変えれば
ちょうど一番盛り上がるお白洲の時間になり、
この20:45以降で高い視聴率を取ることで
全体の平均視聴率を押し上げる構図だった。
(能村庸一「実録テレビ時代劇史」より)
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しかし、この番組が人気が出すぎたことにより、
主演の中村梅之助の人気も上昇し、引く手あまたに。
視聴率はまだまだ高かったが1973年9月で
3年3ヶ月のロングランとはいえ、そこで終了となった。
中村梅之助は日本テレビ火曜20時の「伝七捕物帳」に移ることとなる
(制作はユニオン映画)。
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その後、NET日曜20時枠では"遠山の金さん"を
代替わりさせることで放送を継続。
だが、2代目市川段四郎の「ご存知 遠山の金さん」は1年、
3代目橋幸夫の「ご存じ金さん捕物帳」は半年と
初代ほど長続きせず"遠山の金さん"は一旦終了。
1975年4~10月は東映京都撮影所が制作に替わり、
映画3作からTVにスピンオフした、若山富三郎の「賞金稼ぎ」となる。
賞金稼ぎ コレクターズDVD
そして1975年10月から東映の制作枠としては木曜20時に戻り、
「遠山の金さん」が復活。4代目・杉良太郎の誕生である。曜日が変わったのはやはり先述の戦略があったとは言え、大河ドラマ裏ではきつかったのであろうか。
NET木曜20時枠としても、1973年度の「素浪人 天下太平」「いただき勘兵衛 旅を行く」と言った
"素浪人シリーズ"が主演の近衛十四郎の体調悪化もあり終了してから
上手くいかず、現代ドラマ、海外ドラマ、バラエティと
ジャンルが定着せずの状態だったが、
やはり時代劇なら勝算があると判断されたのではないかと思う。
杉良太郎「遠山の金さん」は堅調な視聴率を獲得し
2年のロングランとなるが、やはり主演俳優の人気・多忙さで一旦終了。
更に制作も東映から前進座&国際放映に明け渡すことに。
この座組で1977年10月から中村梅之助「達磨大助事件帳」、
1978年5月から田村正和「若さま侍捕物帳」を放送。
この枠(木曜ミステリー終了まで)で
東映でない制作会社だった時期はこの1年間のみである。
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そして1978年10月から東映の制作に戻り、
当時は「新幹線公安官」を終えたばかりの
西郷輝彦による「風鈴捕物帳」に。
制作プロダクションはこの枠従来の東映京都テレビプロではなく
TBSナショナル劇場でおなじみの東映太秦映像で、
作風もそちらに近い雰囲気の作品だった。
全13話と短期で終わっており、視聴率も平均9.5%と微妙ではあったのだが、
終了の翌週より、TBSで西郷輝彦主演の「江戸を斬るIV」が開始しているため
おそらく当初よりの予定だろう。
そして1979年2月からは
制作プロダクションが東映京都テレビプロに戻り
杉良太郎の「遠山の金さん」第2期。
全30話とさほど長くない期間であったが、最高視聴率25.1%を叩き出し、
第1期を凌ぐ人気であった。
1979年10月からは里見浩太朗による「長七郎天下ご免!」。
全113話、2年半のロングランとなった。
その後日本テレビで同じく里見が松平長七郎長頼を演じた
「長七郎江戸日記」も人気だったが、
ユニオン映画制作(下請けは東映太秦映像)
と言う事もあってか世界観は異なっていた。
そして1982年4月からは高橋英樹による5代目「遠山の金さん」。
高橋英樹と東映(の渡辺洋一P)とのタッグは
1972年からフジテレビの「隼人が来る」にはじまり、
1975年に日本テレビへ移ってから2作目の「桃太郎侍」が大ヒット。
1976年から5年間続き、終了して半年をおいて
スタッフごとテレビ朝日に来たという感じである。
ただ渡辺洋一Pは1年で降板しており、
「刑事くん」「吉宗評判記 暴れん坊将軍」「特捜最前線」を
手掛けた斉藤頼照Pが実質メインを張り、
とりたて人情味の強い「金さん」となった。
この高橋英樹「金さん」は1985年9月、
3年半のロングランで一旦終了するが…
ここからがこの枠の歴史でも大いなる波乱となる出来事が…
続きは次回。
1999年1月にテレビ朝日で開始した東映制作の「木曜ミステリー」枠が、
2022年9月、遂に幕を閉じることになった。
私はまだ中学生だった2001年から視聴し始め、20年以上見続けていたので、
昨年秋に週刊文春などで非公式の報道が出たときからショックであったが、
2022年6月に公式発表され、更にショック。
もういよいよ来週9/15、最終回である…。
個人的には木曜ミステリー開始当初、
既に伝統があった水曜21時枠よりも先にハマり、
木曜ミステリーから水曜21時枠に興味が広がっていった経緯があり、
木曜ミステリーがなければ私のサイト
「東映テレビドラマ・データ根こそぎ拾い」もなかったはずである。
「木曜ミステリー」でも23年余りの歴史があるが
ご周知の通り、
「木曜ミステリー」になるまでも同じく東映京都撮影所による時代劇の枠で、
時間帯変更時期も加えると、
更にプラス30年ほどの長い歴史を持っていた。
更にその前は、
私の研究では東京の東映テレビプロによる現代劇枠だったのである。
順を追って解説すると、
一番最初の始祖となる番組は60年前の
1962年6月~1963年3月、木曜22時枠で放送された
「JNR公安36号」である。
鉄道公安官が主役の刑事ドラマで、
そういう意味ではどちらかというと
水曜21時枠の「さすらい刑事旅情編」の始祖でなのだが。
こちらのドラマが好評により、2ヶ月の休止期間を経て
水曜20時枠で「鉄道公安36号」として再スタート。
放送もロングランとなるが、
同じ時間帯で同じく東映制作の
「銭形平次」が1966年5月に開始し人気を博したためか
1966年10月からは木曜20時に移行。
その後、人気に陰りが出たのか、たった半年後に
改題前も含め約5年の歴史に幕を閉じてしまった。
1967年4月~の後番組も
東映テレビプロの連続ドラマ「あゝ同期の桜」となるが
こちらは映画版もあったが、刑事ドラマではなく戦争ドラマである。
これがおそらく予定通りで半年で終了し、
1967年10月からは東映京都テレビプロによる時代劇
「野次馬がいく」がスタート。
いわゆる"京都枠"のスタートはここからである。
「野次馬がいく」も半年で終了するが、
この1968年4月改編でNET系の3つの番組路線が三角トレードされることになる。
木曜20時の東映京都の時代劇は日曜20時へ、
日曜20時の海外アクションドラマ「特攻 ギャリソン・ゴリラ」は火曜21時へ、
火曜21時の毎日放送制作連ドラ枠は木曜20時へ、
といった具合である。
日曜20時枠での第1弾は中野誠也主演の「次郎長三国志」。
同じ原作で1974年4月の火曜20時枠で鶴田浩二主演でリメイクされている。
その後は
1968年10月~の「旅がらすくれないお仙」、
1969年10月~の「緋剣 流れ星お蘭」と
女性主人公のお色気路線が続く。
特に「旅がらすくれないお仙」は最高視聴率27.5%を稼ぎ人気番組となった。
しかし、裏番組などの影響で高視聴率も長く続かず、
この路線はこの枠では2作で終了。
1970年4月~、緒形拳版「丹下左膳」は
時代劇だが、東京の東映テレビプロに制作が戻る。
(当時は東映テレビプロでも常時1~2枠時代劇を制作していた。)
サブタイトルが『ナゾナゾナーニの巻』『スタコラ逃げるが勝ちの巻』など
かなりふざけており、
子供の視聴者を意識したコメディ色がある作品だったのでは。
しかし番組はわずか14回で終了。
この打ち切りで予定より早く登板した後番組が
この枠の救世主となり、この枠を特徴づける作品となる。
その続きは次回で…
(長くなってすみません。この後ちゃんと木曜20時に戻ります。)
放映開始 | 放映終了 | 放送枠 | 回数 | タイトル | 原作 | 主演 | 制作プロダクション |
1962.06.07 | 1962.09.27 | 木22:00-22:45 | 043 | JNR公安36号 | original | 影山 泉 | 東映テレビプロ |
1962.10.04 | 1963.03.28 | 木21:45-22:30 | |||||
1963.06.05 | 1963.09.25 | 水20:00-20:45 | 198 | 鉄道公安36号 | original | 影山 泉 | 東映テレビプロ |
1963.10.02 | 1966.09.28 | 水20:00-20:56 | |||||
1966.10.06 | 1967.04.02 | 木20:00-20:56 | |||||
1967.04.06 | 1967.09.28 | 026 | あゝ同期の桜 | 十四期会 | 中山 仁 | 東映テレビプロ | |
1967.10.05 | 1968.03.28 | 026 | 野次馬がいく | original | 松方弘樹 | 東映京都テレビプロ | |
1968.04.07 | 1968.09.29 | 日20:00-20:56 | 026 | 次郎長三国志 【 i 】 | 村上元三 | 中野誠也 | 東映京都テレビプロ |
1968.10.06 | 1969.09.28 | 052 | 旅がらす くれないお仙 | 棚下照生 | 松山容子 | 東映京都テレビプロ | |
1969.10.05 | 1970.03.29 | 026 | 緋剣 流れ星お蘭 | original | 花園ひろみ | 東映京都テレビプロ | |
1970.04.05 | 1970.07.05 | 014 | 丹下左膳 | 林 不忘 | 緒形 拳 | 東映テレビプロ |