それでは、とどのつまり、「オーズ」という作品は、
何を描いた作品だったのかを、自分なりに。
それは、
「夢と挫折と成長」を「欲望」を通して描いた作品だったのかな、
と思います。この間気づいたばっかりですが…。
後藤さんも、世界を守るというでっかい夢があって、
警察辞めて、ライドベンダー隊隊長になったけど、
オーズに活躍を奪われて、後藤バズーカ・ど~んで、
それでバースになるかと思いきや、なれなくて、
腐って、伊達さんのサポートになって、安住して、
伊達さんに裏切られたかと思いきや、裏切られてなくて、
やっとバースになれました(涙)。
長かった。玩具の発売スケジュールから、
システマチックな物語展開になりがちな東映ヒーローものですが、
本当に全然システマチックにいかなかった…。
成長物語的な作品は多いですが、
ここまで挫折と下積みが描かれるのは珍しいのではないでしょうか。
しかし、その夢と挫折と成長は、
主人公の映司はもっと激しいものだったと
最終回目前にして、視聴者(私だけだったりして)は思い知らされるのです。
海外での子どもを助けたかったのに助からなかった経験は、
序盤からちょいちょい描かれていましたが、
普通なら映司がライダーになる素養orきっかけの理由のひとつに
すぎないところ(剣崎がそうやったな…)ですが、
それだけでなく、それで映司のキャラクターの特徴である、
「無欲」になってしまっていたとは…。(これは#36あたりの話ですが)
#31(かな?)で、
「自分の手の届く範囲でしか手をのばしちゃいけないんだ」と、
映司が言ってましたが、
#47で映司の夢=欲望が、全世界に救いの手を伸ばしたい、
だからこの手をそこまで伸ばせるものにしたい、
(でもその力はオーズちいう力で叶えていた)と気づいた…
というところで、やっと私(たち)視聴者は
映司は、それまでの人としての大きな動機づけであった、大きな夢の
挫折によって、精神的に傷ついて、無欲になって、
「自分の手の届く範囲でしか手をのばしちゃいけないんだ」という
自戒の念…(ある種、夢に対する後悔とも言える…)を持ったのかと、
ことの重大さに気づかされるのです。。。
でも最終回で、空から落下している最中に、
後藤・カッターウイング・バースに手を差しのばされて、
ああ、こうすれば、どこまでも腕をのばせるんだ…と
気づいた…
と、とにかく挫折というものを、例えば敵にやられて…とかでなく
ものすごくリアルで深い方向に描いていたのではないかと思います。
…って書いてたら、なんか涙と鼻水が出てきた。
長文失礼致しました
おわり