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木曜ミステリー概略 前史~木曜20時時代劇、火曜21時へ移動、そして出戻り

1982年4月から安定した人気を誇っていた
木曜20時、高橋英樹の「遠山の金さん」だったが、
1985年9月で一旦終了。1985年10月からは火曜21時に移り
引き続き高橋英樹でタイトルが「遠山の金さんII」となる。


この奇妙な措置は1985年10月に鳴り物入りで開始した
平日22時(当時は金曜のみ23時)の
「ニュースステーション」が起因している。

当時は意外とテレビ朝日の平日22時台は人気番組が多かったので、
概ね移動して継続している。
月曜21時から2時間サスペンスの「月曜ワイド劇場」は1時間繰り上げ。
水曜22時の「特捜最前線」は木曜21時に。
木曜22時の「愛川欣也の探検レストラン」は土曜19時30分に。
木曜22時30分の「美女紀行・E湯・E味」は日曜18時30分に。

問題は火曜22時である。
1985年9月の時点では同年4月からはじまった「パーティー野郎ぜ!」だったが
不人気で9月で終了している。
だが、これは大阪・朝日放送の制作枠で、
前番組は長年続いた「プロポーズ大作戦」である。
そのまま枠返上ということには当然ならず、
朝日放送のバラエティ枠として移動することになるのだが、
これが何故か木曜20時に来ることとなり、
「金さん」は火曜21時になった。

素人考えでは火曜21時でいいじゃないかという感じなのだが、
当時の火曜21時といえば
フジテレビのクイズ番組「なるほどザ・ワールド」が世帯視聴率20%台、
日本テレビの「火曜サスペンス劇場」も10%台後半くらいで
おそらく朝日放送のバラエティでは勝ち目がないと思ったのだろう。

またテレビ朝日の火曜21時も
1982年4月に長年続いた時代劇枠が終了してから
音楽番組や、萩本欽一のバラエティ、石原プロのドラマ「ただいま絶好調!」と
迷走しており、やっぱり時代劇なら勝算があるという判断だったのでは。

しかし「ニュースステーション」は当たったが、この大移動がことごとく失敗。
木曜20時だった「遠山の金さん」は13%程度あったが
火曜21時の「遠山の金さんII」になり、そこまで悪くないが平均9%台に。

これが1年で終了し、同じく東映京都のスタッフ&高橋英樹で
京都の町医者のドラマ「京都かるがも病院」という現代劇になったが
平均5%台しか穫れなかった。
東映京都の現代劇という意味では木曜ミステリーと同じ要素ではあるのだが
この時は上手くいかなかった。
ファミリー劇場で10年ほど前に再放送されていたが、
ちょっと主題歌などが辛気臭い感じではあった。

更に問題なのは木曜20時ではじまった朝日放送の「極楽テレビ」。
島田紳助らのお笑いバラエティ番組だったが
初回で世帯視聴率2.9%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を
叩き出しわずか5回で終了。平均視聴率は4.0%。
その後、リニューアルした「爆笑!!ライブハウス」も
元々つなぎだったのか12月末で終了。
その後は「女ひとり旅」「テーマはおんな」「テーマはおんな・旅情編」と続いたが
視聴率は上向かなかった。

また先述の22時台にいた番組群も移動先で苦戦。
そこで1年半後の1987年4月の大改編につながる。
おそらくこの時のテーマはなるべく曜日を元に戻すということ。
水曜22時から木曜21時に来た「特捜最前線」は終了になったが
東映テレビプロ、日産提供の刑事ドラマ枠としては
2022年現在でも続く水曜21時に。

木曜21時は「特捜最前線」以前は刑事ドラマではないドラマ枠だったが
それも復活。
(直前とのつながりでは、「月曜ワイド劇場」が解体されて
1986年10月にはじまった1時間のオムニバス枠「月曜ドラマ9」の移動)

土曜19時30分は1985年9月までドラマ「あばれはっちゃく」枠だったが
1987年4月からは同じく国際放映の連ドラ枠に。

こういった具合に、件の
火曜22時から来た木曜20時の朝日放送のバラエティ枠は火曜21時に。
木曜20時から来た火曜21時の東映京都枠は木曜20時に交換して戻ることになった。

すみません、本当はこの「前史」で終わるはずだったのですが
火曜21時時代が長くなったので、一旦ここまで。次もあります。
次は「直前史」ということで
1987年4月~1998年12月の木曜20時枠について書きます。



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木曜ミステリー概略 前前史~「遠山の金さん」と共に

すみません、大したことじゃないのに引っ張ってしまいました。
日曜20時枠時代、その1970年4月~の緒形拳版「丹下左膳」が
同年7月に(おそらく)打ち切りになり
(おそらく)予定より繰り上がって登板したのは
あの中村梅之助主演「遠山の金さん捕物帳」。
テレビ朝日(NET)と東映による「遠山の金さん」シリーズ第1弾である。
こちらは東京から京都の東映京都テレビプロに戻っている。


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放送は先述の通り日曜20時枠なので、裏番組はNHK大河ドラマ。
それなのに最高視聴率22.1%を叩き出したのは、ある戦略が功を奏したからだという。
それは簡単なことで、大河ドラマは今もそうだが放送終了20:45である。
大河ドラマが終わってから「遠山の金さん捕物帳」にチャンネルを変えれば
ちょうど一番盛り上がるお白洲の時間になり、
この20:45以降で高い視聴率を取ることで
全体の平均視聴率を押し上げる構図だった。
(能村庸一「実録テレビ時代劇史」より)



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しかし、この番組が人気が出すぎたことにより、
主演の中村梅之助の人気も上昇し、引く手あまたに。
視聴率はまだまだ高かったが1973年9月で
3年3ヶ月のロングランとはいえ、そこで終了となった。
中村梅之助は日本テレビ火曜20時の「伝七捕物帳」に移ることとなる
(制作はユニオン映画)。

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その後、NET日曜20時枠では"遠山の金さん"を
代替わりさせることで放送を継続。
だが、2代目市川段四郎の「ご存知 遠山の金さん」は1年、
3代目橋幸夫の「ご存じ金さん捕物帳」は半年と
初代ほど長続きせず
"遠山の金さん"は一旦終了。


1975年4~10月は東映京都撮影所が制作に替わり、
映画3作からTVにスピンオフした、若山富三郎の「賞金稼ぎ」となる。

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そして1975年10月から東映の制作枠としては木曜20時に戻り、
「遠山の金さん」が復活。4代目・
杉良太郎の誕生である。曜日が変わったのはやはり先述の戦略があったとは言え、大河ドラマ裏ではきつかったのであろうか。
NET木曜20時枠としても、1973年度の「素浪人 天下太平」「いただき勘兵衛 旅を行く」と言った
"素浪人シリーズ"が主演の
近衛十四郎の体調悪化もあり終了してから
上手くいかず、現代ドラマ、海外ドラマ、バラエティと
ジャンルが定着せずの状態だったが、
やはり時代劇なら勝算があると判断されたのではないかと思う。


杉良太郎「遠山の金さん」は堅調な視聴率を獲得し
2年のロングランとなるが、やはり主演俳優の人気・多忙さで一旦終了。
更に制作も東映から前進座&国際放映に明け渡すことに。
この座組で1977年10月から中村梅之助「達磨大助事件帳」、
1978年5月から田村正和「若さま侍捕物帳」を放送。
この枠(木曜ミステリー終了まで)で
東映でない制作会社だった時期はこの1年間のみである。

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そして1978年10月から東映の制作に戻り、
当時は「新幹線公安官」を終えたばかりの

西郷輝彦による「
風鈴捕物帳」に。
制作プロダクションはこの枠従来の東映京都テレビプロではなく
TBSナショナル劇場でおなじみの東映太秦映像で、
作風もそちらに近い雰囲気の作品だった。
全13話と短期で終わっており、視聴率も平均9.5%と微妙ではあったのだが、
終了の翌週より、TBSで西郷輝彦主演の「江戸を斬るIV」が開始しているため
おそらく当初よりの予定だろう。

そして1979年2月からは
制作プロダクションが東映京都テレビプロに戻り
杉良太郎の「遠山の金さん」第2期。
全30話とさほど長くない期間であったが、最高視聴率25.1%を叩き出し、
第1期を凌ぐ人気であった。

1979年10月からは里見浩太朗による「長七郎天下ご免!」。
全113話、2年半のロングランとなった。
その後日本テレビで同じく里見が松平長七郎長頼を演じた
「長七郎江戸日記」も人気だったが、
ユニオン映画制作(下請けは東映太秦映像)
と言う事もあってか世界観は異なっていた。

そして1982年4月からは高橋英樹による5代目「遠山の金さん」。
高橋英樹と東映(の渡辺洋一P)とのタッグは
1972年からフジテレビの「隼人が来る」にはじまり、
1975年に日本テレビへ移ってから2作目の「桃太郎侍」が大ヒット。
1976年から5年間続き、終了して半年をおいて
スタッフごとテレビ朝日に来たという感じである。

ただ渡辺洋一Pは1年で降板しており、
「刑事くん」「吉宗評判記 暴れん坊将軍」「特捜最前線」を
手掛けた斉藤頼照Pが実質メインを張り、
とりたて人情味の強い「金さん」となった。

この高橋英樹「金さん」は1985年9月、
3年半のロングランで一旦終了するが…
ここからがこの枠の歴史でも大いなる波乱となる出来事が…
続きは次回。



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木曜ミステリー概略 前前前史~東映枠、元を辿れば源流は1962年「JNR公安36号」

1999年1月にテレビ朝日で開始した東映制作の「木曜ミステリー」枠が、
2022年9月、遂に幕を閉じることになった。

私はまだ中学生だった2001年から視聴し始め、20年以上見続けていたので、
昨年秋に週刊文春などで非公式の報道が出たときからショックであったが、
2022年6月に公式発表され、更にショック。
もういよいよ来週9/15、最終回である…。


個人的には木曜ミステリー開始当初、
既に伝統があった水曜21時枠よりも先にハマり、
木曜ミステリーから水曜21時枠に興味が広がっていった経緯があり、
木曜ミステリーがなければ私のサイト
東映テレビドラマ・データ根こそぎ拾い」もなかったはずである。

「木曜ミステリー」でも23年余りの歴史があるが
ご周知の通り、
「木曜ミステリー」になるまでも同じく東映京都撮影所による時代劇の枠で、
時間帯変更時期も加えると、
更にプラス30年ほどの長い歴史を持っていた。
更にその前は、
私の研究では東京の東映テレビプロによる現代劇枠だったのである。

順を追って解説すると、
一番最初の始祖となる番組は60年前の
1962年6月~1963年3月、木曜22時枠で放送された
「JNR公安36号」である。
鉄道公安官が主役の刑事ドラマで、
そういう意味ではどちらかというと
水曜21時枠の「さすらい刑事旅情編」の始祖でなのだが。

こちらのドラマが好評により、2ヶ月の休止期間を経て
水曜20時枠で「鉄道公安36号」として再スタート。
放送もロングランとなるが、
同じ時間帯で同じく東映制作の
「銭形平次」が1966年5月に開始し人気を博したためか
1966年10月からは木曜20時に移行。
その後、人気に陰りが出たのか、たった半年後に
改題前も含め約5年の歴史に幕を閉じてしまった。

1967年4月~の後番組も
東映テレビプロの連続ドラマ「あゝ同期の桜」となるが
こちらは映画版もあったが、刑事ドラマではなく戦争ドラマである。

これがおそらく予定通りで半年で終了し、
1967年10月からは東映京都テレビプロによる時代劇
「野次馬がいく」がスタート。
いわゆる"京都枠"のスタートはここからである。




「野次馬がいく」も半年で終了するが、
この1968年4月改編でNET系の3つの番組路線が三角トレードされることになる。

木曜20時の東映京都の時代劇は日曜20時へ、
日曜20時の海外アクションドラマ「特攻 ギャリソン・ゴリラ」は火曜21時へ、
火曜21時の毎日放送制作連ドラ枠は木曜20時へ、
といった具合である。

日曜20時枠での第1弾は中野誠也主演の「次郎長三国志」。
同じ原作で1974年4月の火曜20時枠で鶴田浩二主演でリメイクされている。

その後は
1968年10月~の「旅がらすくれないお仙」、
1969年10月~の「緋剣 流れ星お蘭」と
女性主人公のお色気路線が続く。
特に「旅がらすくれないお仙」は最高視聴率27.5%を稼ぎ人気番組となった。
しかし、裏番組などの影響で高視聴率も長く続かず、
この路線はこの枠では2作で終了。

1970年4月~、緒形拳版「丹下左膳」は
時代劇だが、東京の東映テレビプロに制作が戻る。
(当時は東映テレビプロでも常時1~2枠時代劇を制作していた。)
サブタイトルが『ナゾナゾナーニの巻』『スタコラ逃げるが勝ちの巻』など
かなりふざけており、
子供の視聴者を意識したコメディ色がある作品だったのでは。
しかし番組はわずか14回で終了。

この打ち切りで予定より早く登板した後番組が
この枠の救世主となり、この枠を特徴づける作品となる。
その続きは次回で…
(長くなってすみません。この後ちゃんと木曜20時に戻ります。)



この時期の番組一覧表

放映開始放映終了放送枠回数タイトル原作主演制作プロダクション
1962.06.071962.09.27木22:00-22:45043JNR公安36号original影山 泉東映テレビプロ
1962.10.041963.03.28木21:45-22:30
1963.06.051963.09.25水20:00-20:45198鉄道公安36号original影山 泉東映テレビプロ
1963.10.021966.09.28水20:00-20:56
1966.10.061967.04.02木20:00-20:56
1967.04.061967.09.28026あゝ同期の桜十四期会中山 仁東映テレビプロ
1967.10.051968.03.28026野次馬がいくoriginal松方弘樹東映京都テレビプロ
1968.04.071968.09.29日20:00-20:56026次郎長三国志
【 i 】
村上元三中野誠也東映京都テレビプロ
1968.10.061969.09.28052旅がらす
くれないお仙
棚下照生松山容子東映京都テレビプロ
1969.10.051970.03.29026緋剣 流れ星お蘭original花園ひろみ東映京都テレビプロ
1970.04.051970.07.05014丹下左膳林 不忘緒形 拳東映テレビプロ


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「ザ・ゴリラ7」考察

「ザ・ゴリラ7」は、千葉真一主演・NETと東映の制作のアクションドラマ。
1975年4月4日から10月3日まで毎週金曜日21時枠に、全26話を放送。
昨年4~7月、CS東映チャンネルで18年ぶりに放送され、
私もようやく全話見終えました。

前継作品の「ザ・ボディガード」は木曜22時枠で、
ちょうど1974年4~9月の、「非情のライセンス」休止期間に放送されましたが、
「ザ・ゴリラ7」は、「非情のライセンス」継続中だったのと、
腸捻転解消のどさくさ に紛れて(?)、新しく設置された連ドラ枠での放送に。
(当時のNETの改編を整理すると、
土曜20時の現代劇枠(直前は東宝制作のホームドラマ)や、
水曜21時の東映時代劇(1975年4月~は東宝の「鬼平犯科帳」に転換)が
前継と言えそうではあるんですが。
ちょうど現代劇と時代劇を、東映と東宝で入れ替えた形ですね)

▼スタッフに東映特撮関係者が多い

「ザ・ボディガード」も、「キカイダー01」を終えたばかりのスタッフで
そのまま参加している方が多かったんですが、本作では更に東映特撮スタッフのウエイトが増加。
前半の吉川進プロデューサーを中心に、
脚本に、高久進(3.5本)、曽田博久(5.5本)、長坂秀佳(3.5本)、
押川国秋(2本)、新井光(2.0本)、江連 卓(2本)
監督に、竹本弘一(3本)、田中秀夫(8本)、若林幹(3本)と、
吉川進Pの「キカイダー」「ゴレンジャー」~「サンバルカン」、
「透明ドリちゃん」「スパイダーマン」「宇宙刑事」に関わったようなスタッフが大挙登板。

後半サブの七条敬三プロデューサーも、特撮の担当作は多いですしね。
中丸忠雄 氏を「大鉄人17」にレギュラー出演されていたのも、この時の縁でしょうか。

作品のノリ・雰囲気も、吉川進Pの「バトルフィーバーJ」にかなり近いかと。
メンバーのラウンジの自由な雰囲気や、妙な多国籍感など
どちらもメインライターが高久進 氏で、竹本弘一監督も一緒なので、
そちらのセンスもあるのかもしれません。
同時期の「ゴレンジャー」よりも、「バトルフィーバーJ」前後の方が近いのは、
ちょっと面白いですけども。
「ゴレンジャー」は吉川進Pはサブで、平山亨Pがメインだったのもあるのでしょう。

パイロットの監督は名匠・石井輝男監督で猛々しい雰囲気ながらも、
番組のコンセプトを忠実に描いてました。
でも、オープニングが私には2番手の竹本弘一監督の演出にしか見えなくて
それこそ細かいカット割りと軽快なノリが「バトルフィーバーJ」そのまま。
実際どなたが撮られたのか、非常に気になる所です。

▼吉川進Pの降板

と、吉川進プロデューサーの作風が強く出てるように見える本作なのですが、
吉川進Pは、同じく1975年4月開始の「秘密戦隊ゴレンジャー」に移動。
クレジット上は「ザ・ゴリラ7」は第1-5、16、20、22、23、25話の10エピソードを担当
(おそらく序盤に撮った10話の順番が変わって、こんなことになっています)
「ゴレンジャー」は第7話から担当。
しかし、ご本人のインタビューで、「ゴレンジャー」の撮影は
1975年2月後半、初回のクランクインより立ち会っていたとのことです。
(おそらくクレジットは台本から関わった話数なのかと)

吉川進Pが降板した理由は定かではありませんが、
双葉社「東映スーパー戦隊大全 バトルフィーバーJ・デンジマン・サンバルカンの世界」での
吉川進Pのインタビュー(p.10)には、

>また以前から僕は千葉真一さんと親交を深めていて、
>彼を中心に、『ザ・ボディガード』や『ザ・ゴリラ7』といった
>アクションものを制作していたんですけれど、
>そういったドラマの悪役には
>「政治家や政財界の大物、弁護士、医者など権力者の存在はNG」
>という制約がいつもありました。
>ですので宇宙の侵略者やエイリアンが悪役である冒険活劇の世界のほうが、
>純粋に愛と正義と友情が追い求められると思うようになり、
>次第に楽しくなっていきました。
>その後は大人向け番組を手がける気持もありませんでした。

とあるので、その制約が必ずという訳でもないと思いますが
(この番組にも権力者が犯人のパターンはあったような)、
そういうことが多くて、この「ザ・ゴリラ7」を降りた可能性はゼロではないでしょう。

それに関連して思うのは、「ザ・ゴリラ7」は民間の組織で
銃をぶっぱなして、たとえ善なる行為でも
だいぶ違法行為をして解決してるんですよね。
そこがある意味、戦隊シリーズ等なら気にならない部分なんですよね。
当時は刑事ドラマでも銃撃戦は当たり前で、まだそんな気にならないかもしれませんが、
それでも後番組の「燃える捜査網」「大非常線」が警視庁の組織が主役になってるのは
やはり当時でも気になるポイントだったからなのでは、とちょっと思います。

実際、「ザ・ゴリラ7」でも
吉川進P担当の回の方が、気持ち違法行為が多いような気がします。
あと最後のアクションが後の戦隊っぽく、大人数vs大人数って構図が多かったですね。

▼代打・渡辺洋一プロデューサー
後任は、フジテレビ「ブラックチェンバー」「特命捜査室」で
吉川進Pとタッグを組んでいた、先輩にあたる渡辺洋一Pと、
サブに先述の七条敬三Pが担当になりました。

渡辺洋一Pは、ちょうど最近東映チャンネルで放送していた
「ゴールドアイ」「ターゲットメン」「さすらいの狼」「非情のライセンス」などの
ハードボイルドドラマ、
高橋英樹主演の時代劇シリーズ
(フジテレビ「隼人が来る」「ぶらり信兵衛-道場破り-」「編笠十兵衛」
日本テレビ「十手無用-九丁堀事件帖-」「桃太郎侍」
テレビ朝日「遠山の金さん」)を担当された方です。

「非情のライセンス」とは並行している時期でしたが、
ちょうど、高橋英樹主演の時代劇シリーズがフジから日テレに移動する間の
休止期間だったので、こういうジャンルに慣れている渡辺Pに
白羽の矢(?)が当たったのではないかと思われます。

東映のPが交代しても、脚本・監督のメンバーはそのままで、
順番も大きく入れ替えているのでわかりにくいですが、
やはり微妙に作風が変わったのではないかと思います。
後半は渡辺洋一P担当回も、序盤のような軽妙なタッチのコメディ回が増えましたが、
(「ぶらり信兵衛-道場破り-」もそうですしね)
#7「微笑む女に手を出すな!」、#8「誇り高き脅迫者」、
#14「黄金の腕を持つ男」、あたりは「ゴールドアイ」「ターゲットメン」ぽい
ハードボイルドで、海外の犯罪者が出てきたりする話なので、
渡辺洋一Pならではの作品だったのではないかと。
#24「オホーツクから来た男」は、江連卓・脚本&田中秀夫・監督それぞれの作風も相まって
「ターゲットメン」でちょっと見たような、クセ全開の台詞&世界観でかなり面白かったですね。
これは吉川進Pには出来ないんじゃないかと。

尚、七条敬三Pの観点でいうと、
先述の通り、ゴリラを主宰する草鹿を演じる中丸忠雄を、
2年後の「大鉄人17」の味方側の主要キャラである佐原博士役でキャスティング、
また若林幹監督も「大鉄人17」および前番組の「キョーダイン」等で起用する等
この番組がのちの作品に影響を与えた出会いもあった模様。

▼まとめ(?)
ということで、「ザ・ゴリラ7」は東映特撮作品への影響が大きく、
そういう意味で東映特撮の歴史的に意味がある作品。
内容も、特撮だけ(特に戦隊、メタルヒーロー初期)好きな方にも楽しめる内容だと思います。

逆に東映の刑事ドラマとしては(刑事じゃないけど)、受け継がれた要素は余り多くないんですよね。
直後の千葉真一刑事ドラマ2作や1980年の「爆走!ドーベルマン刑事」も近いが、結構違うかと。
(「爆走!ドーベルマン刑事」はアクション主体で、志穂美悦子と千葉次郎=矢吹二朗がレギュラー)
ただ時代劇の「影の軍団」の方がテイストは近いかも知れないです。
(でも「ザ・ゴリラ7」ほど明るいノリって感じでもない)

吉川進Pが最後まで全話担当していたら、そして次番組以降も担当だったら
また近い路線のアクションドラマが受け継がれていたかもしれませんが…
そこはほんのり残念にも思えます。
でも、東映×テレ朝の刑事ドラマは地味路線こそ王道でほぼ変わらず半世紀以上経ているのを見ると、やはり吉川Pは戦隊に行って正解だったのかもしれないですね。
実際そちらでヒット作を連発していったわけで。


最後に、「ゴーカイジャー」のゴーカイグリーンの"ハカセ"って、
もしかして本作で目黒祐樹演じる"ハカセ"を意識しているんじゃないかって
勝手に思っておりますw まあああいう博士ポジって当時の作品だとあるあるですけど。


ザ・ゴリラ7 DVD-BOX デジタルリマスター版
ディスク枚数: 6
【発売元】ベストフィールド【販売元】東映・東映ビデオ
発売日 2017/12/06
時間: 1186 分
定価 : 27,000円


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東映グループTV番組・歴代裏被り一覧

ちょっと今更ですが、この2017年10月から
テレビ朝日の「スーパーヒーロータイム」が日曜09:00~10:00になって、
フジテレビのアニメ「ドラゴンボール超」「ワンピース」と同じ時間になっちゃいました。
テレ朝が東映(本社のテレビ部)とバンダイ、
フジが東映アニメーションとバンダイで
同じ東映グループとバンダイの提供で被って、いいのか、大丈夫なのかって声もあります。



実際私もこういう事例はあまり良くないと思うんですが、
過去を思い出してみると、なくはなかった感じです。(まあちょっと時代が違いますが)
というわけで、近い事例を書き出してみるブログになります。



▼全く今回と同じパターン(東映本社テレビ部vs東映動画 双方バンダイ提供)

金曜19:00枠

NET⇒テレ朝系
東映動画
MBS制作・TBS系
東映(東映東京制作所)
1976.04~1976.09マシンハヤブサ宇宙鉄人キョーダイン
1976.10~1977.03キャンディ・キャンディ宇宙鉄人キョーダイン
1977.03~1977.11キャンディ・キャンディ大鉄人17
(枠継続)(中断)
1979.10~1980.02花の子ルンルン仮面ライダー【スカイライダー】
1980.02~1980.10魔法少女ララベル仮面ライダー【スカイライダー】
1980.10~1981.03魔法少女ララベル仮面ライダースーパー1
1981.03ハロー!サンディベル仮面ライダースーパー1
「仮面ライダー」後継のMBS特撮枠と、テレ朝と東映動画の対決。
1年7ヶ月半+1年半の合計3年1ヶ月半。
結構長期間ですが、「大鉄人17」終了で枠を失った時と、
「仮面ライダースーパー1」が移動した時に解消しております。
ただ、純粋に男の子向け同士で被ったのは最初の半年だけですね。



▼東映本社テレビ部vs東映動画被り(スポンサーは被りなし)


時期東映本社テレビ部東映動画
月曜19:30枠1969.12~1970.03彦佐と一心太助
(東映京都制作所)
※1969.11~1970.10
ピュンピュン丸【2】
1967年に26話制作したものの不人気で12話で一回打ち切られた「ピュンピュン丸」が再開されることになり、
当時のこの枠は「チキチキマシン猛レース」等のハンナ・ バーベラ・プロダクション制作のアニメの枠でしたが、急遽この枠をこじ開けて放送されました。
TBSのこの枠は、ブラザー工業一社提供の"ブラザー劇場"枠。





▼東映テレビ部同士被り(レギュラー)
時期番組A番組B
水20:00-20:561967.07~1968.03CX「銭形平次【1作目】」
(東映京都テレビプロ)
※1966.05~1984.04
NET「青空に叫ぼう」
(東映テレビプロ)
1968.04~1968.10NET「青い太陽」
 (東映テレビプロ)
通算1年3ヶ月
土22:30-23:261968.10~1969.01CX「大奥【1作目】」
(東映京都撮影所)
※KTV制作
※1968.04~1969.03
NET「裸の町」
(東映テレビプロ)
※土16:45へ移動で解消
土22:30-23:261969.07~1969.12CX「あゝ忠臣蔵」
(東映京都撮影所)
※KTV制作
※1969.04~1969.12
NET「怪奇ロマン劇場」
 (東映テレビプロ
/東映京都制作所)
通算0年9ヶ月
木21:00-21:261969.04~1969.09CX「花のお江戸のすごい奴」
 (東映京都テレビプロ)
※20:00-21:26
NET「頑張れ!かあちゃん」
(東映テレビプロ)
※21:00-21:56
通算0年6ヶ月
月21:00-21:561969.10~1969.1212ch「プレイガール」
(東映東京制作所)
※1969.04~1974.09
NET「日本任侠伝【2】」
 (東映テレビプロ??)
1970.01~1970.03NET「剣豪」
(東映テレビプロ??)
1970.04~1970.09NET「男一番!タメゴロー」
(東映テレビプロ??)
通算1年
土20:00-20:561970.04~1970.09NET「素浪人 花山大吉」
 (東映京都テレビプロ)
※1969.01~1970.12
12ch「江戸川乱歩シリーズ
明智小五郎」
(東映東京制作所)
1970.09~1970.12CX「柳生十兵衛」
(東映京都撮影所)
※1970.09~1971.04
1971.01~1971.03NET「さむらい飛脚」
 (東映京都テレビプロ)
土20:00-20:561971.10~1972.01NET「ターゲットメン」
(東映テレビプロ)
CX「清水次郎長」
(東映京都制作所)
※1971.05~1972.04
1972.01~1972.04NET「冠婚葬祭屋」
(東映テレビプロ)
土20:00-20:301972.07~1972.09NET「人造人間キカイダー」
(東映テレビプロ)
※1972.07~1973.05
CX「お祭り銀次捕物帳」
(東映京都制作所)※-20:56
※1972.05~1972.09
1972.09~1973.01CX「二人の素浪人」
(東映京都制作所)※-20:56
通算2年
月19:30-20:001973.01~1973.04TBS「熱血猿飛佐助」
(東映京都制作所)
※1972.10~1973.04
NET「どっこい大作」
(東映テレビプロ) 
※TTP、TVP名義
1973.04~1974.03TBS「刑事くん【第3部】」
(東映東京制作所)
1974.04~1974.05NET「パパ愛してる!!」
(東映テレビプロ)※~1974.09
月19:30-20:001975.03~1975.09TBS「刑事くん【第4部】」
(東映東京制作所)
※1974.11~1975.11
NET「コンドールマン」
(東映テレビプロ) 
※TTP名義
通算1年10ヶ月
木20:00-20:551973.04~1973.09CX「新選組」
(東映京都制作所)
NET「素浪人 天下太平」
 (東映京都テレビプロ)
通算0年6ヶ月
水22:00-22:551974.10~1975.02NET「特別機動捜査隊」
(東映テレビプロ)
※1961.10~1977.03
CX「運命峠」
(東映京都テレビプロ)
※KTV制作
通算0年5ヶ月
土22:00-22:551975.09~1975.10TBS「影同心」
(東映京都テレビプロ)
※MBS制作
※1975.04~1975.10
CX「新宿警察」
(東映東京制作所?)
土22:00-22:541975.10~1976.02TBS「影同心II」
(東映京都テレビプロ)
※MBS制作
※1975.10~1976.03
通算0年6ヶ月
月21:00-21:541979.04~1979.1212ch「ザ・スーパーガール」
(東映東京制作所)※~1980.03
※当初は東映ノンクレジット
ANB「赤穂浪士」
(東映京都撮影所)
通算0年9ヶ月
土20:00-20:551994.01~1994.02ANB「暴れん坊将軍V」
(東映京都撮影所)
※1993.04~1994.03
CX「幕末高校生」
(東映京都)
※「セントラル・アーツ」名義
通算0年2ヶ月
同じ東映テレビ事業部でも、下請けの東映子会社の制作プロダクションはそれぞれ被ったことはないようです(一部推測ですが)。
月曜19:30枠は、ジャンルや視聴者層が被るためか、後発のNETでは「東映テレビプロダクション」の略を表す「TTP」や「TVP」の名義を採用。
(平山亨プロデューサーも被っており、NET「どっこい大作」ではノンクレジットになっていました)
しかし、同様にジャンルや視聴者層が被っていそうな、時代劇同士の被りでは、どちらも「東映」名義だったりします。という訳で、明確な基準は謎です。



1960年代末期、1970年代は東映の受注数も今よりも大変多かったので、裏被りとか言ってられない状況もあったのだと思われます。
また1960年代頃までは、制作クレジットが下請けのプロダクション名義のことが多かったので尚更やりやすかったのかもしれません。


もう裏被りの事例が少なくなった90年代では、テレ朝時代劇の裏、フジで放送するときは関連会社の「セントラル・アーツ」名義のクレジットに。
しかし、基本的に「あぶない刑事」等のセントラル・アーツは、当時は特に黒澤満プロデューサーありきの会社ですが、
この時は明らかに担当プロデューサーが東映テレビ部のメンバーなので、本当に名義だけ借りた感じなのだろうと思われます。


ちなみに全期間を足すと、9年8ヶ月になります。

また、表ではぼかしてありますが、1970.09.26の土曜20時は「素浪人 花山大吉」と「江戸川乱歩シリーズ 明智小五郎(最終回)」と「柳生十兵衛(初回)」の3本被りです。
土曜20時はTBS「8時だョ!全員集合」があったので、編成も企画内容もカオスな感じのが多いですね(笑)。



また例外として、キー局・関東地区の「兄弟券バイクロッサー」(1985.01~1985.09、日本テレビ木曜17:30-18:00、東映テレビプロダクション)の裏で
テレビ朝日が元々「科学戦隊ダイナマン」などの東映ヒーロー番組を月~木の同時刻に再放送しており、
「バイクロッサー」は視聴率面でかなりやられていました。
制作プロダクションも、東映テレビプロダクションで同じですし、プロデューサーや監督まで被っていたので、ある意味一番ひどい例かもしれません。

▼東映テレビ部同士被り(レギュラー×単発枠)



時期レギュラー番組単発枠
土211977.07~1982.04TBS「G MEN '75」「土曜ワイド劇場」
(1985.04~1985.07)TBS「SUPER POLICE」
※制作協力、
近藤輝男プロダクション
製作
木221984.04~1984.07CX「弐十手物語」ANB「ニュードキュメンタリードラマ昭和
松本清張事件にせまる」
/NTV「木曜ゴールデンドラマ」(YTV制作)
1984.07~1984.08CX「夏の怪談シリーズ」
1984.08~1984.09CX「乾いて候」
火221981.10~1982.03CX「影の軍団II」(KTV制作)NTV「火曜サスペンス劇場」
1982.04~1982.09CX「影の軍団III」 (KTV制作)
1983.04~1984.03CX「大奥」 (2作目、KTV制作)
1985.04~1985.09CX「影の軍団IV」 (KTV制作)
火211985.10~1986.09ANB「遠山の金さんII」NTV「火曜サスペンス劇場」
1986.10~1987.02ANB「京都かるがも病院」
水211987.04~1987.09ANB「大都会25時」TBS「水曜ドラマスペシャル」
木201990.06.07ANB「続続 三匹が斬る!」CX「世にも奇妙な物語【1】」
(セントラル・アーツ名義)
1991.02.07ANB「名奉行 遠山の金さん【3】」CX「世にも奇妙な物語【2】」
(セントラル・アーツ名義)
1991.09.05ANB「また又 三匹が斬る!」CX「世にも奇妙な物語【2】」
(セントラル・アーツ名義)
1992.02.13ANB「名奉行 遠山の金さん【4】」CX「大人は判ってくれない」
(セントラル・アーツ名義)
1992.06.11ANB「名奉行 遠山の金さん【4】」CX「世にも奇妙な物語【3】」
(セントラル・アーツ名義)
木22枠、1984年7月26日は「夏の怪談シリーズ」と「松本清張事件にせまる」両方で東映制作の上、脚本も本田英郎 氏で被っていました。

土21枠、「土曜ワイド劇場」の裏、「G MEN '75」終了後、TBSも2時間サスペンス枠「ザ・サスペンス」になりましたが、ここでも度々被りがあったようです。

更に土21枠、「土曜ワイド劇場」の裏・TBSで、東映製作の連ドラ「赤い秘密」(1985.07~1985.09)も放送されていましたが、

その時期は「土曜ワイド劇場」で東映作品は放送されていません。


▼東映テレビ部&他社制作の下請け(制作協力)被り

時期東映テレビ部制作番組他社(全てC.A.L)制作番組
月201969.08~1969.09NET「俺は用心棒【2】」(1969.04~)TBS「水戸黄門【第1部】」(東映京都制作所)
1969.10~1970.03NET「天を斬る」TBS「水戸黄門【第1部】」(東映京都制作所)
1970.03NET「天を斬る」TBS「大岡越前【第1部】」(東映京都制作所)
1979.08~1980.02ANB「鉄道公安官」(1979.04~)TBS「水戸黄門【第10部】」(東映太秦映像)
1980.02~1980.03ANB「鉄道公安官」TBS「江戸を斬るV」(東映太秦映像)
1980.04~1980.08ANB「爆走!ドーベルマン刑事」TBS「江戸を斬るV」(東映太秦映像)
1980.08~1980.10ANB「爆走!ドーベルマン刑事」TBS「水戸黄門【第11部】」(東映太秦映像)
1996.07~1996.09ANB「闇のパープル・アイ」TBS「大岡越前【第14部】」(東映太秦映像)
TBS「ナショナル劇場」の『水戸黄門』『大岡越前』などC.A.L制作番組の下請けを、東映のプロダクション(東映京都制作所、後に東映太秦映像に改名)が担当していたので、
その裏で東映本社テレビ部が元請けを担当したケースをまとめました。

元々「水戸黄門」の始まる以前は先にNETで「用心棒シリーズ」などをやっていましたが、1970年3月にこの路線は水曜21時に移動して被りが解消へ。

ちなみに、ナショナル劇場の時代劇でも「江戸を斬るIV(1979.02-1979.08)」等は三船プロが下請けでした。

というわけで、思いの外膨大な量があって、疲れましたw 抜けもあるでしょう。
それを考えると然程問題ないのかなぁと思いますが、まあケースバイケースでしょう。また長くても2~3年程度でどの時も解消されているので、今回もそうなるかもしれません。
今回のニチアサのケースも様々な状況を見ながら、どちらが移動するか、もしくは留まるかどうか判断していくのではないかと思われます。










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